2007年9月29日 (土)

飛べるじゃん!

 24時間営業のスーパーへPボトルを買いに、朝早く細い山道を下って行った。このところの猛暑で、買いだめていたお茶と真水のボトルがアッと言う間に底を突いたからだ。

 やっと人一人通れる道を、左右から草木が生い茂って塞いでいる。掻き分けながら進むと土道の真ん中に、一匹の油蝉が茶色の姿を横たえている。正確にはつんのめった格好で動かないでいる。もう9月末だというのに、まだ蝉がいるなんて思議なくらいだった。今年の暑さを物語っているような気がした。

 危うく潰す所だった。蟻もついて居なさそうなので、部屋に持ち帰ろうかと手を伸ばし掴もうとした瞬間、急にひっくり返って羽を激しくばたつかせた。仰向きながら必死に飛び立とうともがいたが、全く無駄だった。手に取ると、今度は千切れんばかりに思いっきり羽を動かす。”生きているじゃん”、浜弁がつい口に出た。”僅か7日の命か。雌は見つかったのか、上手くいったのか?その調子、その調子”訳もなく笑いが込み上げてきた。

 この分ならと空に放つと、林に向かって蛇行しながら勢いよく飛び去っていった。全盛期の頃を偲ばせる力強さで一目散に消えていった。”飛べるじゃん!”行方を追ったが、むろん分からない。ただ、深い森が有るだけだった。

 麓に駐輪しているバイクを駆って、スーパーへ飛んだ。陽が昇り、じりじり暑さが戻ってきた。2Lとは別に350mlのボトルをその場で一気に飲み干し、元気を付けて戻った。駐輪場にバイクを置き、再び山道をとって返した。

 同じ場所で、同じポーズでつんのめっている油蝉を見つけた。

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2006年11月24日 (金)

チッタ歯科医院-1

歯が痛い
 「困ったなぁ」とヤイバシムは、顔をしかめた。歯がまた痛み出したのである。「困ったなぁ」と思ったのは、痛み出した歯のことだけではない。あのときの光景が再びよみがえったのである。それまで、歯医者にかからなかったことが、ヤイバシムの自慢の種もであった。人がうらやましがるのが、内心少しばかり得意でもあった。Photo_13 食事の後はもちろんのこと、風呂にはいると必ず磨いていたし、外で食事をしても気づかれないように磨いている。
 彼は歯を丈夫にする決め手は、食事にあると考えている。なによりもカルシュウムを沢山含んだ野菜を欠かさずとっているし、牛乳も出来るだけ多く飲むように心がけている。人に秘訣を聞かれても、食事のことをいちいち説明するのも面倒なので、「まあ、根気よく磨くことでしょうか、それに、歯の丈夫な子を産んでくれた母親の贈り物でしょう」などと軽く受け流していた。
 その彼が今、歯が痛いのである。同時に、あの医者に行くのか・・・と思うだけでも心が痛む思いがする。柳澤町には、歯科医院が2軒しかない。チッタ歯科医院は歩いて5分ほどの近いところなので、初めての時は、痛さのあまり飛び込んだのがこのチッタ歯科医院だったのである。それが何とも言い難い医院だった。

チッタ先生
 小さな木造平屋で、門から細い植え込みの間を飛び石づたいに少し入った所に入り口があった。ドアを開けると、風鈴のようなチリン・チリンとかすかな音が響いた。スリッパに履き替え、もう一つのドアーを開けた。ハッとした。内部はすべてピンクのペンキで塗られていた。廊下から床、壁、天井、窓枠などあらゆるものが、濃いピンク一色だ。突然、「いらっしゃいまーーーせっ」甲高い声がして、小さな窓から受付係が顔を出した。看護衣までがピンクだ。私を見るなり、ニット笑った。歯もピンクだ。上歯の方が濃い目。「いらっしゃいまーーーせっ」ともう一度言った後、「虫歯ですねッ」と笑った。診察もしないの、しかも受付係なのに、なぜ虫歯と断定するのか?と不思議に思った。キッと私の右頬がふくらんでいたせいかもしれない。 「はあ」といいながら、健康保険証を差し出した。「まあ、よーーPhoto_10 ーくぞいらっしゃいまーーーした」変なところで言葉を伸ばす癖があるらしい。
 「チッタさーーーん、チッタさーーーん」と内に向かって大きな声を張りあげた。「はああーーーい」の声とともに、蚊トンボのようなほっそりした女の人が急ぎ現れた。壁と同じピンクの診察着。どうやらこの人が先生のようだ。それなのに、「先生」と呼ばずにいるのが変だ。私を見るなり、「よーこそいらっしゃいまーーーした」と深々と頭を下げた。この先生も伸ばす癖があるらしい。あまりの丁寧な挨拶に驚いて、思わずつられて先生より深々と頭を下げてしまった。その時見たスリッパも靴下もみーんなピンクだ。おもむろに顔を上げ先生の顔をまじまじと見てびっくりした。先生の目が、先生の目が、なんとピンクなのである。「ホホホッ、驚いた?コンタクトなの。ホホホーーーのホッ」(あの癖がまたでたぞ!)小さく開けた唇の奥に見えた歯もピンクだ。この調子だと、体中がピンク色一色に染まってしまいそうだ。どうしよう?どうしよう?先生は、私の手を強く取って「さあーーーいらっしゃーーーいいいい」と言いながら診察室に連れて行かれた
。(つづく)

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チッタ歯科医院-2

夕焼け
 並んだ3台の診察台は、どれもピンク色だ。診察台の前は大きな窓になっていて、夕日が赤々と私を照らし出していた。久しぶりにみた夕日が一際眩しく美しかった。「よくいらしゃいまーーーした」の声にハッとして振り返ると、先生がのぞき込んできた。「先生、予約なしに突然診察をお願いしてすいません。何しろ痛くて我慢が出来なかったものですから。」「よくぞいらしゃいまーーーした。いつかは来ていただけると思ってPhoto_9 いたわ。不思議ね」 前から私を知っていたかの様子だ。「さあ、お口を開けてーーー。まあー、まあー、なんてお美しいお歯だちだこと。ホッホッホッホッ。」
 歯全体に水を勢いよくかけると、ひどい痛みが走った。「イタッ!先生。」「虫歯ね、それも3本あるわよ。よかったわ」と言ってすごくうれしそうな顔をした。なんだか久しぶりに懐かしい友達に会ったみたいだった。「ダヤンちゃーーーん。これが虫歯よ」「ホント、ホント。チッタさん、良かったわね」(さっきの受付嬢は、どうやらダヤンちゃんと呼ぶらしい)見ると、ダヤンちゃんは泣いているようだった。それから先生は、「ヤイバシムちゃん!(なれなれしく、ちゃん付けで呼ぶなよ。) 磨きすぎよ、磨・き・す・ぎ。これでは歯茎が可哀想だわ。」先生はほんとに悲しそうに眉を寄せていた。なんだか、先生に悪いことをしたような気がしてきた。「一本だけ直して置くわ。一本だーーーけよっ。他は、痛み止めをしてっと・・・。どう、痛くなくなったでしょう?ホッホッホッ」ホホホホッとダヤンちゃんも笑った。私もつられてフフフッと笑ってしまった。

ピンクの息がフー
 治療費が思ったより安かったので、何だかいっぱい得したような気がして、思わずスキップを踏みながら帰った。これでまた、おいしいものがいっぱい食べられるぞ!ステーキがいいか?日頃行きたいと思っていたあの高級寿司屋でも行こっかな?と楽しく浮き浮きしていると、急に頭がぐらぐらして倒れてしまった。
 その拍子に、溜まり水にポチャンと落ち洋服が泥だらけになってしまった。やっとの思いで家にたどり着き、シャワーを浴び急いで姿見の前で浴衣に着替えた。気分が良くなって口笛を吹くと、フーッとピンクの息が漏れた。薄かったが確か一瞬ピンクのような息が出た。おやっと思って、今度は大きく強い息を出した。しかし、それっきりだった。何回やっても同じだった。気のせいだったんだと自分に言い聞かせた。

2回目の治療
 予約した日に行くと、「ホントに、来てくださったーーーのねっ。うれしいわっ。心配していたのよーーー。さあ、さあ、早く、早く。ダヤンちゃんも来ーーーて。」シッタ先生は子供のようにはしゃぎながら、勢いつけて私の手を引き診察室に入った。
  「やっぱり一本だけ治療しておくわよっ。後は残しておくのよったらーーー。」(治療するのに、残しておくはないだろうに)さっきの麻酔が効いてきたのか、(後一本だけか、なんかもったいないような気がするなーーーぁ。おっ、俺まで変な調子になってきたぞ。まあ、いいか)などと思っている内に、いつの間にか眠ってしまったらしい。
  ふと目が覚め、ぼんやり上を見ると、鮮やかなピンク色した天井が目に入った。起こしてくれれば良かったのに、と思いながら身を起こしてあたりを見回すと、そこは診察室ではなく、自分の部屋だった。
 あの日以来、ピンク色が妙に気になりだしていた。ピンク色以外の色が薄汚れて見え、夜も昼も落ち着かなくなってしまった。電車も駅も道路もそして空さえどうしてピンク色じゃないのかな、などと考えたりした。だから、玄関のドアー、部屋の天井から壁、そして家具まで全部ピンク色一色に塗り替えると、やっと気が晴れ晴れした。ペンキ屋が「これでいいんですか?」と訝ったが、「いいんだよ、これでーーーっ」と得意顔で答えた。だから目を覚ましてピンクの天井を見ても驚かなかったのである。その上、いつの間にか、自分の部屋に戻って来ているのさえ、少しも不思議に思わなかったし、いや、むしろ当然のことのように思うようになっていた。
 1 ようやく最後の一本の治療が終わった日、「もう、これでお会いでーーーきないのかしらーーー、なんて思うと・・・」と言ってチッタ先生は、ピンクのハンカチで何回も何回も目頭を押さえていた。ダヤンちゃんは、ピンクの机に顔を伏せピンクの肩を震わせていた。なんだか僕も悲しくなって、思わず「きっとまた来ーーーます」と言ってしまった。ほんとに心からそう思ったのである。

また痛くなったぞ
 
痛み始めてきた。いよいよ痛み始めてきたのである。痛いけど嬉しい気がした。あれから25日過ぎていた。カレンダーにしっかり大きくピンクで二重丸を付けていたので、間違えるはずがない。ヤイバシムは笑っている。鏡を見ながら笑っている。痛いのに笑っている。嬉しいのと痛いのと混じった顔で笑っている。ゆがんだ顔で笑っている。「ブブブブブーーーーッ」。周りを見回したが、だーれもいない。今度は、「ウハハハハッハ、ウハハハハッハ、ウハハハハッハッ」と大声を張りあげて笑った。心の底から笑った。開いた口から剥げかかったピンク色した歯が見えた。

再会が
 同窓会があるので、久しぶりに彼奴に会って酒でも飲み、カラオケで歌いながら、つっつき合った女達の昔話でもしようか、などと思いながらイイコッカがヤイバシムに電話をしたのは、大学を出てから23年たったある日のことであった。Photo_11
 何回電話しても留守だ。日が迫っていることもあって、出張のついでに寄ってみることにした。昔と住所は同じだったが、駅からヤイバシムの家までの町並みは、さすがにすっかり変わっていた。 当時は、田圃のあぜ道で靴を汚しながら訪ねたものだった。しかし、今は、ピンク色した舗装道路が長く真っ直ぐ延びている。面白い道路もあるものだ、などと思いながら歩いていった。
 角のタバコ屋は、昔のままだった。だが、いくら探しても肝心の彼の家がない。そんなことは無いはずだが、と考えながらタバコ屋に戻って聞いてみると、「ほら、あそこ、あそこ、そら、直ぐ前のあそこだよ。」と老婆はピンクのマニキュアをした指で遠い先をさした。指さす方を見た。塀から屋根から全てピンクで塗り固めたひときわ目立つ家が、ぽつんとそこにあった。咲いている桜もピンクで塗ったのではないかと、錯覚を起こすほどであった。「あのピンクの家ですか?」「そうだーよ」。イイコッカの歩き出した後ろ姿を見て、老婆はニッと笑った。笑った老婆の入歯が薄いピンク色をしていた。

 呼び鈴を鳴らしたが、応答がなかった。見ると、ドアーに張り紙がしてあった。”やあ、久しぶり。元気かい、イイコッカ君。いまチッタ歯科医院にいま~す”と、地図を書いたピンクの用紙に走り書きがしてあった。なぜ、今日、俺が来るのが判ったのか、知らせてもいないのに。「うむっ」。
 Photo_12 チッタ歯科医院は、すぐわかった。門、飛び石、果ては植え込みの木々の幹や葉までが全てピンクだ。これはすごいと思った。俺の目がピンクになりそうだ。不安になってきた。背広がピンク色に映えて、色変わりして見えた。呼び鈴を押すと、「ハーイ、ただいーーーまっ」と甲高い声がしたかと思うと、ドアーがさっと開いた。ピンクのスリッパ、靴下、診察着、顔、髪の毛、そして、目まで染まっていた。ヤイバシムだ!「よーくいらしゃまーーーした」。

      「あっ! おまえぇ! おまえぇ!!」
                                          

                               1999.10.26 孫たち向けに創作: tosi

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