2006年10月24日 (火)

電車事故に遭う

2006.10.15、32歳の女性が飛び降り自殺。2005.4.25の福知山線脱線事故から一年6ヶ月後のことであった。同棲していた男性の後を追っての自殺で、108人目の犠牲者と呼ばれている。

戦後発生した5大鉄道事故は、1947.2.25の「八高線の脱線転覆事故:死者184名負傷者495名」、1963.11.9の「鶴見事故:死者161名負傷者120名」、1962.5.3の「三河島事故:死者160名負傷者296名」、2005.4.25の「福知山線脱線事故:死者107名負傷者555名」、1951.4.24の「桜木町事故:死者106名負傷者92名」などがある。

電車火災事故に遭遇したのは、高一の時であった。死者は無く負傷者も弱冠名で、新聞記事の一隅に小さく取り上げられる程度で、世間から注目される物ではなかった。しかし、あの怖ろしさは遭遇してみないと判らない。何十年たった後に発生した福知山線脱線事故の記事に接した折り、当時の記憶が鮮明に蘇った。一種のトラウマなのだ。長い期間全く一度も思い出しもしなかったのにだ。

京浜急行線が谷津坂駅と富岡駅の山岳地帯を抜けるトンネルのやや中程に差しかかったときに事故が起きた。私は左右のドアーの中間に立っている鉄パイプの柱に掴まり立ちしていた。尻鞄には教科書がズシリと重かった。車内はややラッシュを過ぎた時間帯のためか八分程度の混み具合だった。

それはまいぶれもなく、突然襲ってきた。足下から進行方向に約1メートル先の床に亀裂が走ったかと思う間もなく、赤青色の太い火柱が一気に天井まで吹き上げたのである。車内の明かりが全部一瞬にして消え、真っ暗になった。煙が車内に充満し電線の焼けた臭いが鼻を突いた。バリバリと音がトンネル内に広がり、青白い閃光が真っ暗なトンネル内を走った。

僅かに明るかったトンネルの入り口に向かって、乗客は一斉に後車に向けて疾走した。私も飛んで走った。連結の狭い通路も一気に抜けた。泣き叫ぶ声も母親が子供の名前を呼び交わす声すら一切耳に入らなかった。何両走り抜けたか全く判らない。兎に角電車を脱出しなければと思ったが、どの車両もドアーが一枚も開いてないのだ。見ると、既に乗客は窓から体を投げ出して脱出している。私も後に続こうと体半分身を乗り出したが、躊躇した。地面までのあまりの高さに一瞬ためらった。2階から飛び降りるみたいだった。電車は、路盤上に砕石を一定の厚さに積み上げ、その上に枕木、レールそして車両が乗っているうえに窓からだ。下には先に落ちた人が重なり合っている。足から降りられない。そうこうしている間にも煙が追ってきている。乗客が後ろに犇めいている。ままよと頭から突っ込んで飛んだ。飛び降りた。そのままの姿勢だと砕石や路盤で大怪我する。

鈍い音がして着地した。正確には先に落ちた人達の上に落ちたのだ。体が水平状態になっていたらしい。ウッと声がした。直ぐに立ち上がったが、私の下敷きになった人が怒りを満面に現し、充血した目をカッと見開いて睨みつけている。怖い目だった。他の人達の群れに入った。助かったのだ。振り返ると、トンネルで閃光が激しく走り、煙が湧き上がり、山を覆っていたのが見えた。尻鞄の重さが再び感じられた。服も鞄も泥だらけだ。座り込んで長いことうなだれていた。やがて一つ深呼吸し、歩き始めた。ゆっくりと。

もし、私の足下で火柱が立っていたら。1メール違っていたら。死者もなく、たいした怪我を負うことも無かった強運に恵まれた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)