2011年5月27日 (金)

東北大地震

日本の主な災害記録(明治以降)

■明治三陸地震1896年(明治29年)6月15日 M8.2~8.5
最大震度
震度3程度:
津波
綾里湾(現・大船渡市):38.2m
地震の種類
海溝型地震
被害
死傷者数
死者:2万1915名
行方不明者:44名
負傷者:4398名
被害地域
北海道から宮城県までの太平洋

物的被害 家屋流失:9878戸
家屋全壊:1844戸
船舶流失:6930隻
その他:家畜、堤防、橋梁、山林、農作物、道路など流失、損壊。

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(M8.2~8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震だったためである。最近の研究では、この時、北米プレートと太平洋プレートが幅50km、長さ200kmにわたって5~6mずれ動いたことが分かってきた。太平洋プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量にたまっており、それが数分にわたってゆっくり動いたと推定される。その独特の動きが激しく揺れる地震波よりもはるかに大きなエネルギーを海水に与えたと考えられる。

また、地震動の周期自体も比較的長く、地震動の大きさの割に人間にはあまり大きく感じられない、数秒周期の揺れが卓越していた。このため、震度が2~3程度と小さく、危機感が高まりにくかったと考えられる。
後年、このような地震のタイプを「津波地震」もしくは「ゆっくり地震」と言うようになった。
明治三陸地震(めいじさんりくじしん)は、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒に発生した、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源とする地震。M8.2~8.5という巨大地震であった。

地震後の津波が本州観測史上最高の遡上高である海抜38.2mを記録するなど津波被害が甚大だったこと、および、この津波を機に、明治初年にその名称が成立したあとも、行政地名として使われるのみで一般にはほとんど使われていなかった「三陸」という地名が知られるようになり、また「三陸海岸」という名称が生まれた[1]ことで知られる。

 

■関東大地震1923年(大正12年)9月1日11時58分)M 7.8~7.9
震源 東経139.3゜北緯35.2゜付近 相模湾の北西隅付近
死者行方不明者 約10万5千人
相模湾沿岸に津波
東海道線根府川駅背後の山崩れ、土石流による崩壊土砂で停車中の列車が海に押し出され約200名が死亡

■昭和三陸地震1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒)M5
岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経144度7分)を震源として発生した地震。M8.1。アメリカ地質調査所 (USGS) の推測はMw8.4。
 
三陸海岸は軒並み震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なかった。地震後に襲来した津波による被害が甚大であった。最大遡上高は、岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で、海抜28.7mを記録した。
この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだ。

特に被害が激しかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現・宮古市)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊した。津波が襲来した後の田老村は、家がほとんどない更地同然の姿となっていた。

これを教訓に、田老には1982年(昭和57年)までに海抜10m 、総延長2433mの巨大な防潮堤が築かれた。1958年(昭和33年)に完成した1期工事の防潮堤は、1960年5月23日に発生・来襲したチリ地震津波の被害を最小限に食い止める事に成功した。これにより、田老の巨大防潮堤は全世界に知れ渡った。

この巨大防潮堤は、昭和三陸地震の大津波によって更地同然の姿になった田老町の防災の象徴となっていたが、2011年(平成23年)3月11日 に発生した東北地方太平洋沖地震による大津波はこの防潮堤を越えて町内を襲い、ほぼ全域が壊滅状態となった。

■室戸台風1934年(昭和9年)9月20-22日)
死者・行方不明者 3,036名

■南海道地震1946年(昭和21年)12月12月21日 (M8.0)
死者・行方不明者 1,443名

■福井地震1948年(昭和23年)6月28日16時13分)(夏時間のため、当時の時刻では17                         時13分)M7.1
震央 福井県北部、北緯36度17分、東経136度20分
震度6:福井市(この地震を契機に震度7が設定されたため、震度7相当)
死者3,769名
被害の特徴
戦災後のバラックの倒壊(倒壊家屋36,184戸)
火災発生による市街地の延焼(焼失家屋3,851戸

■洞爺丸台風1954年(昭和29年)9月25-27日)
青函連絡船洞爺丸など5隻が転覆・沈没、1,430名が死亡(うち洞爺丸1,155名)
死者・行方不明者 1,761名
低気圧による豪雨(5/8-12)
北日本、近畿地方で被害
死者・行方不明者670名

■伊勢湾台風1959年(昭和34)年9月21-27日)
死者・行方不明者 5,098人

■阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)1995年(平成7年1月17 日5時46分) M7.3
震源淡路島(北緯34度36分 東経135度03分 深さ16km)
死者・行方不明者 6,427名(関連死 904名を含む)

■新潟中越大震災2004年(平成10年)10月23日17時56分)M7
死者:68人 重軽傷者:4,805人
全壊:3175棟 半壊:13,810棟 一部損壊:105,682棟

■東北関東津波大地震2011年(平成23年)3月11日14時46分  M9.0
2011年6月5日現在 死者 15,365人  行方不明 8,206人 避難 98,505人(朝日新聞)

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