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2006年11月24日 (金)

チッタ歯科医院-1

歯が痛い
 「困ったなぁ」とヤイバシムは、顔をしかめた。歯がまた痛み出したのである。「困ったなぁ」と思ったのは、痛み出した歯のことだけではない。あのときの光景が再びよみがえったのである。それまで、歯医者にかからなかったことが、ヤイバシムの自慢の種もであった。人がうらやましがるのが、内心少しばかり得意でもあった。Photo_13 食事の後はもちろんのこと、風呂にはいると必ず磨いていたし、外で食事をしても気づかれないように磨いている。
 彼は歯を丈夫にする決め手は、食事にあると考えている。なによりもカルシュウムを沢山含んだ野菜を欠かさずとっているし、牛乳も出来るだけ多く飲むように心がけている。人に秘訣を聞かれても、食事のことをいちいち説明するのも面倒なので、「まあ、根気よく磨くことでしょうか、それに、歯の丈夫な子を産んでくれた母親の贈り物でしょう」などと軽く受け流していた。
 その彼が今、歯が痛いのである。同時に、あの医者に行くのか・・・と思うだけでも心が痛む思いがする。柳澤町には、歯科医院が2軒しかない。チッタ歯科医院は歩いて5分ほどの近いところなので、初めての時は、痛さのあまり飛び込んだのがこのチッタ歯科医院だったのである。それが何とも言い難い医院だった。

チッタ先生
 小さな木造平屋で、門から細い植え込みの間を飛び石づたいに少し入った所に入り口があった。ドアを開けると、風鈴のようなチリン・チリンとかすかな音が響いた。スリッパに履き替え、もう一つのドアーを開けた。ハッとした。内部はすべてピンクのペンキで塗られていた。廊下から床、壁、天井、窓枠などあらゆるものが、濃いピンク一色だ。突然、「いらっしゃいまーーーせっ」甲高い声がして、小さな窓から受付係が顔を出した。看護衣までがピンクだ。私を見るなり、ニット笑った。歯もピンクだ。上歯の方が濃い目。「いらっしゃいまーーーせっ」ともう一度言った後、「虫歯ですねッ」と笑った。診察もしないの、しかも受付係なのに、なぜ虫歯と断定するのか?と不思議に思った。キッと私の右頬がふくらんでいたせいかもしれない。 「はあ」といいながら、健康保険証を差し出した。「まあ、よーーPhoto_10 ーくぞいらっしゃいまーーーした」変なところで言葉を伸ばす癖があるらしい。
 「チッタさーーーん、チッタさーーーん」と内に向かって大きな声を張りあげた。「はああーーーい」の声とともに、蚊トンボのようなほっそりした女の人が急ぎ現れた。壁と同じピンクの診察着。どうやらこの人が先生のようだ。それなのに、「先生」と呼ばずにいるのが変だ。私を見るなり、「よーこそいらっしゃいまーーーした」と深々と頭を下げた。この先生も伸ばす癖があるらしい。あまりの丁寧な挨拶に驚いて、思わずつられて先生より深々と頭を下げてしまった。その時見たスリッパも靴下もみーんなピンクだ。おもむろに顔を上げ先生の顔をまじまじと見てびっくりした。先生の目が、先生の目が、なんとピンクなのである。「ホホホッ、驚いた?コンタクトなの。ホホホーーーのホッ」(あの癖がまたでたぞ!)小さく開けた唇の奥に見えた歯もピンクだ。この調子だと、体中がピンク色一色に染まってしまいそうだ。どうしよう?どうしよう?先生は、私の手を強く取って「さあーーーいらっしゃーーーいいいい」と言いながら診察室に連れて行かれた
。(つづく)

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チッタ歯科医院-2

夕焼け
 並んだ3台の診察台は、どれもピンク色だ。診察台の前は大きな窓になっていて、夕日が赤々と私を照らし出していた。久しぶりにみた夕日が一際眩しく美しかった。「よくいらしゃいまーーーした」の声にハッとして振り返ると、先生がのぞき込んできた。「先生、予約なしに突然診察をお願いしてすいません。何しろ痛くて我慢が出来なかったものですから。」「よくぞいらしゃいまーーーした。いつかは来ていただけると思ってPhoto_9 いたわ。不思議ね」 前から私を知っていたかの様子だ。「さあ、お口を開けてーーー。まあー、まあー、なんてお美しいお歯だちだこと。ホッホッホッホッ。」
 歯全体に水を勢いよくかけると、ひどい痛みが走った。「イタッ!先生。」「虫歯ね、それも3本あるわよ。よかったわ」と言ってすごくうれしそうな顔をした。なんだか久しぶりに懐かしい友達に会ったみたいだった。「ダヤンちゃーーーん。これが虫歯よ」「ホント、ホント。チッタさん、良かったわね」(さっきの受付嬢は、どうやらダヤンちゃんと呼ぶらしい)見ると、ダヤンちゃんは泣いているようだった。それから先生は、「ヤイバシムちゃん!(なれなれしく、ちゃん付けで呼ぶなよ。) 磨きすぎよ、磨・き・す・ぎ。これでは歯茎が可哀想だわ。」先生はほんとに悲しそうに眉を寄せていた。なんだか、先生に悪いことをしたような気がしてきた。「一本だけ直して置くわ。一本だーーーけよっ。他は、痛み止めをしてっと・・・。どう、痛くなくなったでしょう?ホッホッホッ」ホホホホッとダヤンちゃんも笑った。私もつられてフフフッと笑ってしまった。

ピンクの息がフー
 治療費が思ったより安かったので、何だかいっぱい得したような気がして、思わずスキップを踏みながら帰った。これでまた、おいしいものがいっぱい食べられるぞ!ステーキがいいか?日頃行きたいと思っていたあの高級寿司屋でも行こっかな?と楽しく浮き浮きしていると、急に頭がぐらぐらして倒れてしまった。
 その拍子に、溜まり水にポチャンと落ち洋服が泥だらけになってしまった。やっとの思いで家にたどり着き、シャワーを浴び急いで姿見の前で浴衣に着替えた。気分が良くなって口笛を吹くと、フーッとピンクの息が漏れた。薄かったが確か一瞬ピンクのような息が出た。おやっと思って、今度は大きく強い息を出した。しかし、それっきりだった。何回やっても同じだった。気のせいだったんだと自分に言い聞かせた。

2回目の治療
 予約した日に行くと、「ホントに、来てくださったーーーのねっ。うれしいわっ。心配していたのよーーー。さあ、さあ、早く、早く。ダヤンちゃんも来ーーーて。」シッタ先生は子供のようにはしゃぎながら、勢いつけて私の手を引き診察室に入った。
  「やっぱり一本だけ治療しておくわよっ。後は残しておくのよったらーーー。」(治療するのに、残しておくはないだろうに)さっきの麻酔が効いてきたのか、(後一本だけか、なんかもったいないような気がするなーーーぁ。おっ、俺まで変な調子になってきたぞ。まあ、いいか)などと思っている内に、いつの間にか眠ってしまったらしい。
  ふと目が覚め、ぼんやり上を見ると、鮮やかなピンク色した天井が目に入った。起こしてくれれば良かったのに、と思いながら身を起こしてあたりを見回すと、そこは診察室ではなく、自分の部屋だった。
 あの日以来、ピンク色が妙に気になりだしていた。ピンク色以外の色が薄汚れて見え、夜も昼も落ち着かなくなってしまった。電車も駅も道路もそして空さえどうしてピンク色じゃないのかな、などと考えたりした。だから、玄関のドアー、部屋の天井から壁、そして家具まで全部ピンク色一色に塗り替えると、やっと気が晴れ晴れした。ペンキ屋が「これでいいんですか?」と訝ったが、「いいんだよ、これでーーーっ」と得意顔で答えた。だから目を覚ましてピンクの天井を見ても驚かなかったのである。その上、いつの間にか、自分の部屋に戻って来ているのさえ、少しも不思議に思わなかったし、いや、むしろ当然のことのように思うようになっていた。
 1 ようやく最後の一本の治療が終わった日、「もう、これでお会いでーーーきないのかしらーーー、なんて思うと・・・」と言ってチッタ先生は、ピンクのハンカチで何回も何回も目頭を押さえていた。ダヤンちゃんは、ピンクの机に顔を伏せピンクの肩を震わせていた。なんだか僕も悲しくなって、思わず「きっとまた来ーーーます」と言ってしまった。ほんとに心からそう思ったのである。

また痛くなったぞ
 
痛み始めてきた。いよいよ痛み始めてきたのである。痛いけど嬉しい気がした。あれから25日過ぎていた。カレンダーにしっかり大きくピンクで二重丸を付けていたので、間違えるはずがない。ヤイバシムは笑っている。鏡を見ながら笑っている。痛いのに笑っている。嬉しいのと痛いのと混じった顔で笑っている。ゆがんだ顔で笑っている。「ブブブブブーーーーッ」。周りを見回したが、だーれもいない。今度は、「ウハハハハッハ、ウハハハハッハ、ウハハハハッハッ」と大声を張りあげて笑った。心の底から笑った。開いた口から剥げかかったピンク色した歯が見えた。

再会が
 同窓会があるので、久しぶりに彼奴に会って酒でも飲み、カラオケで歌いながら、つっつき合った女達の昔話でもしようか、などと思いながらイイコッカがヤイバシムに電話をしたのは、大学を出てから23年たったある日のことであった。Photo_11
 何回電話しても留守だ。日が迫っていることもあって、出張のついでに寄ってみることにした。昔と住所は同じだったが、駅からヤイバシムの家までの町並みは、さすがにすっかり変わっていた。 当時は、田圃のあぜ道で靴を汚しながら訪ねたものだった。しかし、今は、ピンク色した舗装道路が長く真っ直ぐ延びている。面白い道路もあるものだ、などと思いながら歩いていった。
 角のタバコ屋は、昔のままだった。だが、いくら探しても肝心の彼の家がない。そんなことは無いはずだが、と考えながらタバコ屋に戻って聞いてみると、「ほら、あそこ、あそこ、そら、直ぐ前のあそこだよ。」と老婆はピンクのマニキュアをした指で遠い先をさした。指さす方を見た。塀から屋根から全てピンクで塗り固めたひときわ目立つ家が、ぽつんとそこにあった。咲いている桜もピンクで塗ったのではないかと、錯覚を起こすほどであった。「あのピンクの家ですか?」「そうだーよ」。イイコッカの歩き出した後ろ姿を見て、老婆はニッと笑った。笑った老婆の入歯が薄いピンク色をしていた。

 呼び鈴を鳴らしたが、応答がなかった。見ると、ドアーに張り紙がしてあった。”やあ、久しぶり。元気かい、イイコッカ君。いまチッタ歯科医院にいま~す”と、地図を書いたピンクの用紙に走り書きがしてあった。なぜ、今日、俺が来るのが判ったのか、知らせてもいないのに。「うむっ」。
 Photo_12 チッタ歯科医院は、すぐわかった。門、飛び石、果ては植え込みの木々の幹や葉までが全てピンクだ。これはすごいと思った。俺の目がピンクになりそうだ。不安になってきた。背広がピンク色に映えて、色変わりして見えた。呼び鈴を押すと、「ハーイ、ただいーーーまっ」と甲高い声がしたかと思うと、ドアーがさっと開いた。ピンクのスリッパ、靴下、診察着、顔、髪の毛、そして、目まで染まっていた。ヤイバシムだ!「よーくいらしゃまーーーした」。

      「あっ! おまえぇ! おまえぇ!!」
                                          

                               1999.10.26 孫たち向けに創作: tosi

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2006年11月20日 (月)

格安インターネット接続料金とよもやま話

11月17日、地元KCCから技術者が2名来宅、早速工事開始。ものの1時間足らずで完了。接続は、私自身がマニュアル通りに設定。これも直ぐさま終了。

11月20日、ybbに契約解除と銀行振り落とし停止手続きも全て終わる。

料金は、ybbが3,282円(IP電話不使用)に対してKCCが1,995円。これまでybbでのメール容量が2Gだったのが1Gと半分に。チェックしてみると、1Gの4%しか使用していない。結構メールのやり取りをしたり、様々な会社からバンバン来るメールを合わせてもこの調子。

インターネット時代、情報を上手く利用すると金銭的に得したりする。逆に損したり、買い物チャンネルで余計な物をついつい購入してしまったりする。しかし、過去を見ても概ね間違った利用はしてこなかったような気がする。

様々な情報を得る過程で感心することは、よくも此処まで資料を作成し、提供してくれるものだとその親切さに感謝するばかり。それが殆ど無料と来てる。PCの前にでんと座り、お茶したりしながら、あらゆる情報を取得したり、友人間ではメールをPCや携帯に流す。海外の子供達へは、もうメールが欠かせない。

友人などに時たまする電話がなぜか新鮮。メールだと云いたいことがズバリ言えるし、イヤなことも顔を見ずに済ますことも出来る。繋がらなくても、送信しておけば後で開き、返信が来る。だが、顔を見ず流れる文字群を追っていると、何故か何故か、虚しくなるのは単なるノスタルジーか?笑ったり、泣いたり、怒ったり、喧嘩したりが、文字では表現できない。これでは人間関係が冷え込むかとも思えるが、これはこれでまた別のとやかく言えない人間関係が出来ているのだ。評論家はいろいろ定義づけたいだろうが、これはこれで世間っていうもの何だろう。

こうしたことが当たり前の世界の中で、新しい文化や道徳が生じてくるのだろう。それを今私たちが作っているとも言えよう。

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2006年11月 7日 (火)

ポール・モ-リア

ポール・モーリア(Paul Mauriat)が亡くなった。2006.11.03急性白血病がもとでフランスで死亡。81歳。1925.03.04フランス南部のマルセイユに生まれる。

彼の曲であるのを知ったのは、「オリーブの首飾り」だった。この曲は松旭斎すみえがマジックショウの際に流したところ、手品のBGMとして有名になった。マギー司郎らのプロを始め、素人も含めて旋律を歌いながらする人が多かった。その他、ストリップショウで定番の曲としても広く普及した。

”一家に一枚”的なイージーリスニングと呼ばれる大衆的な芸術レベルまで高めた功績は大きい。自身の作曲は少ないが、別の楽曲を巧みにアレンジし、際だたせる才能を遺憾なく発揮。

彼の作品は何と言っても「恋はみずいろ」だ。世界で500万枚を売り上げている。その他、「エーゲ海の真珠」「蒼いノックターン」「そよ風のメヌエット」「天使のセレナード」や「涙のトッカータ」などが有名。ピアノ演奏のほかラテンミュージックなど幅広く手がけ、大勢のフアンが生まれている。

死んで思い出すのも不躾だが、彼のCDが手元に無いことに気づいた。幸い親しい人から借りるので、秋の夜長にじっくり聴いてみたい。渋めの紅茶をすすりながら。

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2006年11月 6日 (月)

自転車事故

それは暗い夕方6時頃に起きた。スーパーの近くの歩道を走っていた自転車の横っ腹に、もう一台の自転車が衝突したのだった。当てられた自転車には中学生位の男子が乗り、当てた自転車は70ぐらいの年輩のご婦人だった。当てた方は横倒しになり、野菜や雑貨の入ったビニール袋が何個か荷台から勢いよく歩道に転がって走った。当てられた自転車は、何ごともなかったかのように止まった。学生の自転車が目前に迫っているのに、ブレーキが間に合わなかったのだろうか。老婦人は、あああ・・と言いながら、そのままドンって,ありがちだが。

丁度、駐輪場からバイクを押しながら出ていった私の眼前で起きた。直ぐさまバイクを置き、飛んで行ってご婦人を抱きかかえた。が、抱き起こせないのだ。重過ぎるのだ。背から体に手を回してもとどかない。寒い時期でもあったので、着ぶくれしているようだ。半身起こすのが精一杯だった。いいですぅ、いいですぅ、とご婦人は恥ずかしがりながら自力で起きあがろうともがいた。やっと起き上がったので、自転車を立て直してあげ、荷物を積み直すと押しながら姿を消した。外観からは怪我の程度は全く不明。打ち身でも無ければいいが。

時間が掛かり過ぎたように思えたが、多分、全ては一瞬だったのだろう。

このときふと感じたのだが、誰~れも手助けしようとしないのだ。買い物の時間帯だったので大勢いたが、只見守っているばかりだった。もとより当てにはしていなかったが、寂しいものを感じた。大怪我だったら様子は違っていたかも知れない。大方、世の中ってこんなものなのだろう。

失敗したのは、関係者である中学生を巻き込んで、手助けさせるべきだったのだ。ただ、ぼーと立ちすくむ子に、もう大丈夫だからと安心させて立ち去らせてしまった、妙な大人芸に後悔する。すいません、大丈夫ですか?と寄って来るべきだったし、そうさせるのが大人なのにだ。

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